大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和35年(ネ)342号 判決

控訴人 富田こと加地俊枝 外一名

被控訴人 尾崎久馬 外三名

主文

一、原判決中控訴人加地俊枝と被控訴人加地槙蔵、同真鍋正克との間に関する部分を左の通り変更する。

被控訴人加地槙蔵、同真鍋正克は控訴人加地俊枝に対し各自金一万円及びこれに対する昭和三二年四月二六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人加地俊枝の被控訴人加地槙蔵、同真鍋正克に対するその余の請求を棄却する。

一、控訴人加地俊枝のその余の被控訴人らに対する控訴及び控訴人加地甚太郎の控訴は、いずれもこれを棄却する。

一、控訴人加地俊枝と被控訴人加地槙蔵、同真鍋正克との間に生じた訴訟費用は第一、第二審を通じこれを一〇分し、その九を同控訴人の負担とし、その余を同被控訴人らの負担とする。控訴人加地俊枝とその余の被控訴人らとの間に生じた訴訟費用は第一、第二審を通じて同控訴人の負担とし、控訴人加地甚太郎と各被控訴人らとの間に生じた訴訟費用は第一、第二審を通じ、同控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人尾崎久馬は控訴人両名に対し別紙(原判決添付の別紙記載を引用する。但し、同記載中昭和三十年三月十八日とあるは昭和三十年三月十九日と訂正する。)の通りの謝罪文を交付せよ。被控訴人らは連帯して控訴人加地俊枝に対し金一五万円、控訴人加地甚太郎に対し金一〇万円並びに右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日から年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人らの連帯負担とする。」旨の判決並びに金員支払いを求める部分について仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、認否は、左に附加する他は原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

控訴代理人は「昭和三〇年三月一九日に本件偽造にかかる離婚届が土居町役場に提出された後、同月二四日控訴人俊枝の母訴外加地ヒサは同町役場吏員たる被控訴人猪川実次に対し右離婚届は偽造のもので控訴人俊枝の真意に出たものでない旨を告げ、これを受理しないように要請し、かつ被控訴人猪川の要求により、同日入院加療中の同控訴人のもとに行き、その離婚する意思のないことを確認し、このことを直ちに同被控訴人に伝達し重ねて右離婚届を受理しないよう要請し、更に翌二五日にも控訴人甚太郎、前記ヒサ、訴外和田猛久らが同町役場に行き、右離婚届が未受理である事実を確認した上、同町役場吏員にこれを受理しないよう要請し、更に翌二六日にも同様の要請をしたのにもかかわらず、右離婚届は日を遡らせて同月一九日に受理したものとして処理され、その旨戸籍簿に記載されるに至つたものであつて、被控訴人尾崎久馬、同猪川実次らは、右離婚届が虚偽のものであり、偽造のものであることを知りながら、且つ控訴人側からの要請にもかかわらず、これを受理し、戸籍簿に不実の記載をなしたものである。被控訴人加地槙蔵、同真鍋正克について、仮に故意による不法行為の責任がないとしても、過失による不法行為の責任がある。即ち、離婚届書に第三者が証人として署名する所以は、離婚当事者に離婚の合意があることを戸籍吏に証明するものであるから、単に当事者一方の言のみを倍用してなすべきでなく、双方の真意を確認すべきである。しかるに、右両被控訴人らは控訴人俊枝の真意を確める何らの方法も構じなかつたばかりか、同控訴人の父親である控訴人甚太郎を通じてこれを為すことも容易であつたのにかかわらずこれをも為さず、軽卒に訴外富田馨の言のみを信用して本件離婚届書に証人としての署名をなし、もつて右訴外人をしてその偽造にかかる離婚届書を行使し得る状態を作り出したものであつて、右両被控訴人が控訴人俊枝の真意を確めずになしたことは重大な過失というべきである。この過失により戸籍簿に不実の記載がなされ、控訴人らは精神上の苦痛を受けたものであるから、右両被控訴人はこれが損害を賠償すべきである。」旨陳述した。〈証拠省略〉

理由

一、被控訴人尾崎久馬、同猪川実次に対する請求について。

控訴人俊枝が訴外富田馨と婚姻し、共同生活を営むうちに、同控訴人は肺結核にかかり、新居浜療養所に入院したこと、右控訴人の入院中に、富田馨が昭和三〇年三月一九日土居町役場に右両名の離婚届を提出したこと、右離婚届書は同控訴人の関知しないもので、同控訴人に関する部分は偽造のものであつたこと、右届書の提出された後に、同控訴人の父控訴人甚太郎、母訴外ヒサらが土居町役場に赴き、同町長被控訴人尾崎、同町戸籍吏員同猪川らに対して右離婚届を受理しないよう要請したこと、右離婚届は受理され、これに従つて戸籍簿に記載がなされたことは、控訴人らと、被控訴人尾崎、同猪川間に争いない事実である。

成立に争いない甲第一号証、証人和田猛久、同加地ヒサ、同高橋元夫、同真鍋与一、控訴本人加地甚太郎、被控訴本人猪川実次各尋問の結果(但し、証人和田猛久、同加地ヒサ、控訴本人の供述中後記認定に反する部分を除く)を綜合すると、本件離婚届は前記の通り昭和三〇年三月一九日提出されたが、同日は土曜でありかつ提出されたのが午後であつたので、この届書を富田馨から手交された被控訴人猪川は一応届書の形式を調査し、戸籍原本とも対照の上書式上不備なところはないものとして受取つておき、翌二〇日(日曜)、翌々二一日(祭日)を経過した後、同月二二日に同町役場においてこれを受理と決定し、同日付で戸籍受附帳に記入したが、戸籍原本への記入がなされないまま日を経過するうちに、同月二四日、控訴人俊枝の母ヒサから右届書は馨が偽造したもので同控訴人の関知しないところであるから戸籍簿に記入しないようにとの要請があつたので、同町戸籍係員において直ちに調査をした結果、右届書が控訴人俊枝の真意に基づいて作成されたものでなく、馨がほしいままに作成したものではないかとの疑問が強くなり、馨に対し右届書の取下げを勧告したが、同訴外人がこれに応じなかつたので、同町係員としてはこれが処理に窮し、同月二五日頃所轄の松山地方法務局西条支局の係官に対し電話で指示を求めたところ、既に受理と決定してしまつている離婚届は、その後において当事者の一方から異議の申出があつたとしても戸籍簿に記入すべきであるとの回答を得たので、右届書に従つて戸籍簿への記入がなされたことを認めることができ、右認定に反する証人和田猛久、同加地ヒサ控訴本人加地甚太郎の供述部分は信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

ところで、戸籍事務管掌者たる市町村長は届出の受否について如何なる程度の審査権を有するか、更に、既に受理と決定した後戸籍簿に記入しない間に、当事者又は関係人から届書の内容と反する申出があつた場合、或は届書の内容が真実に合致しないことが判明した場合は如何に取扱うべきか等の問題は、戸籍事務取扱上、或は法解釈上種々因難な問題を包蔵し、これを決するには高度の専門的知識を必要とするところのものである。このような困難な問題を包蔵する本件の場合において、土居町長たる被控訴人尾崎並びに同町戸籍吏員である被控訴人猪川らが、独断に走ることなく、所轄法務局の指示を求め、その指示に従つてこれを処理したことは、戸籍事務の性格、戸籍法施行規則第七一条の規定等に照らし、正に適切であつたと言わなければならない。仮に、本件のような場合には戸籍簿に記入すべきでないとの見解が正当であつたとしても、被控訴人らの右の処置を非難するのは失当である。要するに、仮に本件戸籍簿への不実の記入が戸籍事務処理上違法な取扱いであり、控訴人らに精神的苦痛を与えたとしても、前記の如き事実関係のもとにおいては、これにつき被控訴人尾崎同猪川に不法行為責任を負担させるべき故意又は過失があつたということはできないものと解するのが相当であり、同被控訴人らにこれが損害を賠償すべき責任はないといわなければならない。のみならず、戸籍事務は国の行政事務にして市町村長等に委任されたものであり、本件において控訴人らが主張する損害なるものは、この国の事務の執行に基づく損害というべきであるから、仮に損害が発生したとしても、それは国家賠償法により国または公共団体が賠償の責に任じ、職務の執行に当つた公務員たる右被控訴人らはこれが損害賠償の責任を負担するものでないと解すべきである(昭和三〇、四、一九最高裁第三小法廷判決参照)。従つて、この点からするも、右被控訴人両名に対する本訴請求は失当というべきである。

二、被控訴人加地槙蔵、同真鍋正克に対する請求について。

前記各証拠並びに成立に争いない甲第二号証、証人富田馨、控訴本人加地俊枝、被控訴本人加地槙蔵、同真鍋正克各尋問の結果を綜合すると、前記被控訴人尾崎、同猪川らに対する請求についての判断の際に認定した通りの経過により、被控訴人俊枝と訴外富田馨の婚姻について、離婚届書の提出、受理、戸籍簿への記入のなされた事実、及び右離婚届書には被控訴人加地、同真鍋の両名が証人として署名をしていること、右両名被控訴人は、右署名を富田馨の要請に基づいてなしたものであり、右届書の一方の当事者たる被控訴人俊枝に対して直接離婚の意思の有無を確めることなく、富田の言により双方に離婚の合意があるものと軽信して署名をなした事実を認めることができる。

控訴人らは、被控訴人加地、同真鍋は、右離婚届書が偽造のものであることを知りながら、これに証人として署名したと主張するけれども、口頭弁論に提出された全証拠によるも右主張事実を認めることはできない。

そこで、右被控訴人らが控訴人俊枝の意思を認めることなく、富田馨の偽造にかかる離婚届書に署名したことが、過失による不法行為を構成するものか否かの点を審案しなければならない。

民法第七六五条第七三九条により協議離婚届書に成年の証人二人以上の署名を要するとしたのは、離婚について届出主義を採用している法制上離婚が当事者の任意の合意に基づくこと等を第三者により戸籍吏に証明させ、届出及びこれによる離婚の効果の発生について過誤なからしめようとする趣旨であるから、証人として離婚届書に署名する者は、離婚が双方当事者の任意の合意によるものであることを確認すべき法律上の義務があるものといわなければならない。確認するについては、場合によつては即ち当事者双方に離婚の意思のあることを事前に推知し得ているというような特段の事情のある場合においては、或は一方の当事者から事情を聞くのみでこれを確認できることもあろうけれども、そうでないかぎり、双方当事者に対し直接或はその者らの父母らを介して等当事者双方の意思を確めなければこれを確認し得ないはずである。然るにかかる特段の事情の存したことは証拠上認め得ないところであり、一方の当事者の言のみを信用して離婚の合意が成立しているものと軽信し、離婚届書に証人として署名するという如きは、結局前記義務に反した行為というべきである。本件において、被控訴人加地、同真鍋が前認定の通り、控訴人俊枝の不知の間に富田馨がほしいままに作成した離婚届書に控訴人俊枝の意思を確認することなくして証人として署名し、以て富田馨をして右偽造にかかる離婚届書を提出行使し得る状態を作り出し、結局右虚偽内容の離婚届書通りに戸籍簿に不実の記載がなされるに至つたものであるから、控訴人らが右戸籍簿への不実の記載により精神的苦痛を受けたものならば、右被控訴人両名の前記義務違反と、右控訴人らの精神上の苦痛との間にはいわゆる相当因果関係があるものといわなければならない。勿論本件の場合においては、右被控訴人らの署名の他に、富田馨による届書の提出行使、土居町役場の戸籍係員らの右届書の受理、戸籍簿への記入等の行為が介在して後に前記損害が発生したものではあるけれども、若し右被控訴人らが、控訴人俊枝の真意を確めるために同控訴人或はその両親に聞きただしていたならば、容易に右損害の発生を予防し得たと考えられる点に鑑みれば、相当な因果関係がないということはできない。

よつて進んで控訴人ら主張の損害の発生の有無及び賠償すべき損害額について考えるに、妻であつた控訴人俊枝にとつては、自分の知らぬ間に虚偽の離婚届が提出され、戸籍簿にまで協議離婚した旨記載されたということは、仮にそれは法律上無効のものであつたとしても、これにより妻たる地位に何らかの変動が生じないかと恐れ、或は自己の氏名印章を冒用されてなされた離婚届書により戸籍簿にまで離婚したとの記入がなされたことを知つて驚くなど、精神上多大の苦痛を受けたであろうことは容易に推認できるところであり、この精神上の損害に対して加害者はこれを慰藉すべき法律上の義務あるものというべきであるが、控訴人甚太郎は、控訴人俊枝の父親であるに過ぎないものであるから、親として子である控訴人俊枝の右精神上の苦痛に対し同情し憐憫の情を強くしたことは推察するに難くないが、右戸籍簿への不実記入により何ら直接影響を受ける虞れがあるわけでもなく、その他控訴人甚太郎が特別に多大の精神上の苦痛を受けたと認むべき証拠もないから、子である控訴人俊枝の右のような状態について同情し、いろいろ心配をしたという程度では、未だ法律上賠償を請求し得るような損害を受けたということはできないと考える。従つて、控訴人甚太郎の本件損害賠償請求はこの点において理由ないものというべきである。そこで、控訴人俊枝が被控訴人加地、同真鍋らに対し請求し得べき損害額であるが、控訴人甚太郎本人の供述によると、前記の通り控訴人俊枝が富田馨と別居をするに至つた後である昭和二九年六月頃、同控訴人側から富田馨に対し離婚、慰藉料請求等の調停申立をなし、同年一二月頃右調停は不成立に終つた事実が認められ、控訴人俊枝に婚姻を継続する意思があつたか否か疑問である点、甲第二号証によると、本件戸籍簿に対する離婚の記載は昭和三二年二月二六日に抹消され、更にその後、控訴人俊枝と富田馨は確定判決により離婚していることが認められる点、前認定のような被控訴人加地、同真鍋が本件離婚届書に証人として署名するに至つた事情、その他一切の事情を考慮して、控訴人俊枝が請求し得べき損害額は金一万円が相当であると考える。そして控訴人俊枝の蒙つた右損害は、被控訴人加地、同真鍋の前記の如き過失による共同不法行為に基づくものであるから、同被控訴人らは夫夫右損害を賠償すべき義務があり、その各債務はいわゆる不真正連帯債務の関係に在るものというべきであるから、同被控訴人らは控訴人俊枝に対し各自金一万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三二年四月二六日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による金員を支払うべき義務があるものといわなければならない。

三、以上説明した通り、控訴人らの本訴請求中控訴人俊枝の被控訴人加地、同真鍋に対する右認定の限度における請求は理由があるが、その余は総て理由のないものである。よつて控訴人らの請求を全部棄却した原判決は、右の限度において主文第一項の通り変更し、その余の控訴人らの控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条第九六条に従い、仮執行の宣言は本件においてはこれを付さないのが相当であるからこれを付さないこととし、主文の通り判決する。

(裁判官 渡辺進 水上東作 石井玄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例